子供2人に恵まれた時の共働き夫婦 妻が仕事復帰をするまで

仕事

 こんにちは、夫のハジメです。この記事では、コバコ家がどんな流れで4人家族になったのか、どうやって妻が仕事を続けたのかについて書きたいと思います。

結婚後 2人暮らし

 最初に言うと、僕は今を生きる男。妻は未来を生きる女です。僕は欲しいものはすぐ買うし、それを使い切るまで使います。妻は未来のことを考えてお金も物も溜め込むタイプです。

 そんな2人が結婚してまず妻が気にしたことは、僕の貯金がゼロということでした。給料が安いから仕方ないと僕は気にしていませんでしたが、妻から見ると以下のことが気になったようです。

  • 自炊せず外食、総菜ばかり
  • 週末しか乗らない車を所有し維持費が高い(駐車場代だけで1万)
  • 車あるのに駅近物件に住んでいる(地方都市です)
  • 妻に反対されたのにiPadを自分が欲しいという理由で買った
  • 1人暮らしより、2人暮らしの方が光熱費などの基本料が抑えられる

 というわけで、入籍を早めてさっさと2人暮らしするよ! と押し切られ(?)2人暮らしをすることになりました。場所は妻の仕事場に近いアパートで、郊外にあるため駐車場代や家賃も低く抑えられました。妻は電車通勤にして、僕は車通勤に変わりました。子供ができても良いように、保育園や学校があることも、妻の気に入ったポイントでした。

1人目妊娠・出産

 結婚当初の話し合いで、子供は2人欲しいなあ、という話になりました。だから、妻が妊娠したと分かった時は、とても嬉しかったです。

 妻は第一子を妊娠している間も仕事を続けていましたが、とても辛そうでした。つわりに加え、立ちっぱなしの仕事が負担になり、よくお腹が張っていました。駅から家まで徒歩10分の道のりも、ゆっくり30分かけて帰るほどでした。

そんな中、切迫早産と診断されドクターストップがかかり、2週間の自宅静養を命じられました。家事も控えるようにと言われたため、妻は実家に帰ることに。自分はアパートで一人暮らしをすることになりました。

 正直、とても反省しました。当時、自分の仕事が忙しく、妻が炊事や風呂掃除などを担当していました。しかし、しゃがんだり背を伸ばしたりする動作がお腹の張りを強くすることを知り、自分のせいで妻に無理をさせてしまったのではないかと悔やみました。

 その後無事に回復した妻は、仕事に復帰しました。妻の話では、主要な業務内容は変わらず、雑務の内、体を使う仕事は他の人に変わってもらい、事務仕事を多く担当したそうです。また、職場の人にもとても気遣っていただいたとか。そうして周囲の人のご協力の下、妻は産前休暇まで仕事を続けました。そして無事長男が誕生しました。

1人目育児と2人目出産からの仕事復帰

 初めての出産と育児は、僕たちにとって未知の連続でした。まず、生まれたばかりの赤ちゃんには2~3時間おきの授乳が必要で、妻は寝不足が続き、疲れ果てていました。退院後、体の回復のために妻は1カ月ほど里帰りすることに。実家はアパートから車で1時間ほどの距離にありました。

 しかし、本当に大変だったのはその後でした。アパートで子供との3人暮らしが始まると、家事と育児の両立が想像以上に大変で、特に夜泣きの対応で妻は毎日疲れ果てていました。僕も土日は家事を担当し、夜は子供をドライブに連れ出して寝かしつけるなど、できる限り妻が休めるように努めました。

 当時の夫婦の役割分担は、土日や夜の家事・育児は僕が担当し、それ以外は妻が担うという、漠然としたものでした。

 そして、子供が1歳を過ぎた頃、妻が2人目を妊娠しました。第一子の妊娠時に切迫早産を経験したことがトラウマになっていたため、妻は仕事復帰前に出産することを希望しました。こうして育児休暇を延長し、そのまま2回目の産休へ。2人目を出産し、その子が1歳になる前に職場復帰を果たしました。

2人の子供は保育園へ預けることになり、0歳児クラスと2歳児クラスに入園。保育園探しは大変でしたが、隣接する市も含めて調べ、一番長時間預かってくれる園を見つけました。ただ、そこは市内でも人気の高い園で、競争倍率がかなり高そうでした。しかし、保育体制や環境を考えると、ここに預けられるかどうかが仕事復帰のしやすさを大きく左右することは明白でした。

 役所で確認したところ、1歳児クラスは最も入園が難しく、0歳児と2歳児クラスは比較的入りやすいとのこと。さらに、兄弟がいると加点される制度もありました。そのため、「今しかない」と妻は決意し、仕事復帰を決めました。

 結果として、無事に審査を通過し、希望していた保育園に入園することができました。

仕事を続けるためにしたこと

 妻が仕事に復帰するにあたり、我が家では家事や育児の役割を見直しました。以下に、やってよかったことを書きます。

子育てしやすい近い場所に引っ越す

 子供が保育園に通うようになったら、送迎は夫である僕の担当にすることにしました。妻は仕事の終わる時間がなかなか読めず、職場の異動もあるため、通勤時間が読めなかったからです。僕の職場は基本的に変わらないため、保育園も職場に近い地域で探しました。そして、僕が通勤しやすく、保育園にも送迎しやすい場所に引っ越しました。引っ越し費用には40万円ほどかかりましたが、仕事を続けるための必要経費と割り切りました。

乾燥機購入

 保育園に通うようになると洗い物が増えるとネットで知り、乾燥機を買いました。洗濯物の干しと取り込みが省略される上に、保育園でよく使うおしぼり、エプロン、タオル、子供の服などがふんわりとした仕上がりで乾き、とても重宝しました。

収納の見直し

 毎日の保育園の準備を滞りなく進められるよう、収納の見直しを行いました。ボックスや棚を用意して、おしぼり、エプロン、兄弟それぞれの衣類、ビニール袋などを分類して金属ラックに設置しました。カゴには「毎日、3枚」などラベルをつけて、上から順番に取っていくと1日の準備が完成するという仕組みです。金属ラックは乾燥機を置いた洗面所の近くに設置して、洗濯物の収納も簡略化しました。

家族に相談する

 妻の実家にお願いして、子供の緊急連絡先の候補に入ってもらいました。子供の体調不良や、災害時の受け渡しの連絡先です。もし僕たち夫婦がすぐに駆け付けられなくても、他に連絡が繋がる場所があることで、僕たちにも心にゆとりが持てました。

 また、子供が体調不良になったら、妻の母が面倒を見に家まで来てくれることになりました。僕の母も新幹線を使ってかけつけると言ってくれたので、とても助かりました。

職場に相談する

 妻が仕事に慣れることを優先し、家事子育ては夫が担当することになったコバコ家。僕は会社に相談して、基本的に残業ができないことを理解してもらいました。そして長期出張が無いチームに所属を変えてもらいました。

 妻も職場に相談し、自由度の高い役職に就いて子供の急な体調不良にも備えるようにしました。

そして現在

 月日が流れ、長男は小学生になりました。妻は今も仕事を続けています。最近は重要な役職を任されることが増え、大変そうですが、それでも充実した表情で働いています。僕も変わらず、自分のペースで仕事を続けています。

 職場復帰した頃と大きく変わったことは、戸建てに引っ越したことと、妻が車通勤になったことです。これにはさまざまな理由があり、また別の記事で詳しく書こうと思います。

 振り返ると、子供2人を育てながら共働きを続けられたのは、周囲の人たちの協力があったおかげです。そして何より、夫婦でしっかり話し合い、ときにぶつかりながらも意見を交換し、コバコ家に合ったシステムを作り上げてきたことが大きかったと感じています。

 これからも仕事や家庭のバランスを取りながら、家族みんなが無理なく笑顔で過ごせるように工夫していきたいと思います。どんな選択をしても、支え合う気持ちを忘れずに、柔軟に対応していくことが大切だと改めて感じています。

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